〓ナカヤマコラム〓

 
Er hat heute Geburtstag.
No.371 [ 2008/12/22 (mon) 16:28:18 ]
 
ネット配信限定で内村光良とさまぁ〜ずの番組「内村さまぁ〜ず」というのがあって、You Tubeで見ている。
 
内容は内村プロデュースとよく似ていて内Pよりさらにユルい感じ。
 
毎回ゲストをMCとして迎えてゲストのやりたいことを三人でやる。
 
おすすめはキャイ〜ンの企画「ムチャをする男達」。40を越えたおじさん達がムチャをするのが面白い。
 
2年ほど続いていて配信は50話を越えているが、未だにふかわりょうが出演していない所にふかわが内Pで足を引っ張っていた様がわかる。
 
内P時代の懐かしいネタも時々出てくるので、好きな人は見てみてはいかがですか?

 
 

 
ねぎぼうず
No.370 [ 2008/12/18 (thu) 01:51:03 ]
 
中山野球史「草野球編1」
 
大学入学後、現監督と草野球チームを作ることにした。
 
まずは人数集め。なかなか集まらずお互いの高校の同級生や知り合いに参加してもらい、さらに監督の弟やその友達などを加えて何とか人数を揃えた。
 
次にチーム名。ありきたりな候補しか思い浮かばなかった中で、地元の後輩の案を採用し「スクレイパーズ」となった。
 
次にユニフォーム決め。こちらも候補はたくさんあったが、学生が大半でお金をかけられない事情があったため、当時の千葉ロッテのビジターユニフォームのデザインをそのまま採用した。
 
この時、自分は背番号「5」を希望してつけることになった。「5」は当時全盛期だった中村紀洋がつけていたので選んだ。
 
木製バットにも憧れていたので、中村紀洋モデルのバットを買った。
 
グローブは井端モデルを買った。これは完全に衝動買いだった。
 
草野球やる気マンマン、準備万端でスクレイパーズの活動をスタートさせた。
 
しかし、理想とはかけ離れた野球しかそこにはなかった。
 
ピッチャーがストライク入らない。野手はエラー連発。バッティングもほとんどヒットが出ない。そしてチームは負け続き。ベンチのムードも悪い。
 
最大のウリは「若さ」だったが同時にそれは最大の弱点でもあった。
 
チームメイトに声を荒げてケンカなんて日常茶飯事。監督の起用に腹を立て、何度辞めようと思ったことか。
 
ある日の練習でのエピソード。
 
試合に勝つために、自分は内野のピックオフプレーがチームに必要だと感じて練習をしようとした。
 
しかし監督はそれを拒絶。草野球にそこまで細かいプレーを求めていないことが理由だった。
 
これには自分を含めた生駒高校野球部出身のメンバーが反発。高校野球経験者とそうでない人間の野球観の違いがチームの不協和音をさらに大きくしてしまった。
 
ピックオフには反対した監督だったが、その後打撃時にサインプレーを使うようになり「野球を楽しむ」よりは「勝つために野球をする」という気持ちが強かったと思う。
 
とにかく最初の1〜2年は滅多に試合で勝つこともなく、負けてはイライラを募らせる、という状態だった。
 
つづく
 
 

 
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