〓ナカヤマコラム〓

 
ブリタイ艦隊
No.363 [ 2008/12/04 (thu) 00:04:36 ]
 
中山野球史「中学校編1」
 
中学校1年生の時、大瀬中学校野球部に入部。体格が大きかったこともあり、やたら先輩から期待をされる。ポジションはキャッチャーやファースト。
 
3年生が引退し新チームになった時、1年生では唯一背番号「20」をもらいベンチ入り。新人戦の最初の試合、最終回ツーアウトから代打で出場するもショートゴロに倒れる。
 
中学校2年生の時、先輩とケンカをして先輩を敬うことが大事だということを学ぶ。
 
1コ上の先輩がいる間は公式戦はもちろん練習試合でもキャッチャーで試合に出ることはなかった。もし試合に出ても、全く自信がなかったのを覚えている。
 
1コ上の先輩が引退し、キャッチャーとしてレギュラーになる。先輩からはキャプテンに指名されるが監督は「日替わりキャプテン制」を採用。やる気をなくす。
 
この頃、キャッチャーに飽きておりファーストに行きたかったが、ちょうど良いタイミングでキャッチャー経験者の転校生が野球部に入部した。彼が上手くて自分がファーストに追いやられる図を思い浮かべていたが、彼はキャッチャー以外のポジションが希望だった。仕方なくキャッチャーを続けることになった。
 
新人戦では上中学校と対戦。試合前にレギュラー二人が爆竹を鳴らした為に出場禁止となり、転校生がライパチで出場するなどベストメンバーに程遠いスタメンになった。
 
結果はコールド負け。この瞬間から、公式戦連敗記録がスタートする。
 
ある日の練習試合で人生で初めてピッチャーを経験した。結果は負け投手となったが、審判をしていた他チームの監督から誉められたのが嬉しかった。
 
この頃の練習はまともにした覚えがない。監督の言う通りメニューをこなすチームメイトを尻目に打った後のバットの投げ方の練習やランニング中の女子へのセクハラ、ちょっと素行のよくないツレに野球特訓、休憩中の後輩のたまり場へ無差別投石、秘密基地建設、裏の林に隠したエロ本閲覧、無断帰宅などをしていた。
 
つづく
 
 

 
きゅ〜じょぉ〜しょぉ〜あついハァート〜溶けるほぉ〜どこぉ〜いしたぁ〜い
No.362 [ 2008/12/03 (wed) 23:12:38 ]
 
中山野球史「小学校編」
 
小学校3年生の時、当時住んでいた横浜で少年ソフトボールチームに入部。ソフトボールとはいえ塁間は少年野球と一緒。一年を通じて試合に出た記憶はない。
 
小学校4年生の時、初めて背番号「17」をもらう。たまに代打で出た記憶ぐらいしか残っていない。
 
小学校5年生の時、最初は「13」で途中から「11」の背番号をもらう。サードのレギュラーがいなかったので連日猛特訓をしたが、結局失格。後輩にサードを奪われる。その後はキャッチャー、ファースト、ライトのポジションを練習するがいずれも控え。公式戦で代打でセンターオーバーの3塁打を打ったのを覚えているが、3塁をオーバーランしてタッチアウトになったものだった。
 
この頃所属リーグの学年別のオールスターに選ばれる。が、本職のキャッチャーではなくライトでの出場で3タコ。いい記憶がない。
 
小学校6年生の時、「2」をもらいキャッチャーのレギュラーになる。打順は4番だったが結果的にはホームランを1本も打てず、他の選手が打率4〜5割打ってる中3割そこそこだった。
 
所属リーグの学年別オールスターには選ばれたが、2試合で7タコ。華々しい場面には縁がなかった。横浜市代表チームのセレクションには落選。やはり、打撃が物足りなかったようだ。
 
小学校の時所属したこのソフトボールチームは歴史もあり、とにかく強かった。2コ上、1コ上の時は町内・区内リーグ戦全て優勝。1コ上の時は初めて参加した横浜市リーグ戦で準優勝という快挙も成し遂げた。
 
自分達の代は、町内・区内では勝てたが横浜市リーグ戦となると勝てない。初参加の県大会も2回戦敗退とふるわなかった。
 
極めつけは、前述の学年別オールスター大会の練習試合で1コ下に敗れるという体たらく。
 
後にこの1コ下のチームは史上最強チームになったらしいが、引越しで横浜を去ったために詳細はわからない。
 
つづく
 
 

 
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