〓ナカヤマコラム〓

 
黒い顔→ウォーレン・クロマティ
No.367 [ 2008/12/13 (sat) 21:59:04 ]
 
中山野球史「高校編3」
 
三年生になって、レギュラーの座が危うい状況が2つ発生した。
 
まず、監督が変わったこと。新監督の方針次第では、ポジションの入れ替えやレギュラーの入れ替えもあり得た。
 
次に、新一年生のレベルが高かったこと。技術的に自分たち三年生より上手い後輩が多かった。
 
しかし、自分はレギュラーとして残ることができた。
 
新監督は三年生が引退するまでは前監督の意向を尊重してくれた。
 
そして、技術的に劣る三年生でも全員に背番号を与えてベンチ入りをさせてくれた。
 
後日談だが、前監督に野球部引退後に話を聞くと「お前はレギュラー剥奪されるかもしれないと思っていた」と言われた。レギュラーとして使ってくれた新監督には感謝しなければならないと思った。
 
レギュラーとして迎えた最後の大会。
 
吹奏楽部にムリをお願いして応援歌を「ルパン三世のテーマ・フルコーラスバージョン」にしてもらった。
 
一回戦は新監督が前年度まで率いていた奈良高校。新監督は複雑だっただろうが、勝利した。
 
最後の大会第一打席でピッチャー強襲ヒットを放ち、エースのお兄さんに誉められたのを覚えている。
 
応援団や観客がいる中での試合は本当に気持ちよかった。平凡なセンターフライを打ち上げた時、一瞬、観客席から「オーッ!」というどよめきが起きたのは嬉しかった。
 
せっかく勝ったのに、残念なことがひとつだけあった。
 
試合後の校歌斉唱の時、球場ルールで放送機器が使用禁止の時間帯に入っていたため音楽が流れずアカペラで校歌を歌うハメになった。
 
今思えば、全くもってヒドい話である。
 
二回戦は高田高校。初回、平凡なファーストライナーをグローブで弾いてしまい、傷口を広げてしまう。
 
何とか貢献したいと思っていたその試合最初の打席。1アウト1、3塁のチャンスだった。サインは1塁ランナーとのヒットエンドランだった。
 
とりあえずバットに当てると相手ピッチャーが逆を突かれたような感じになりグラブを弾いて内野安打。さらに打点もついて自身の大会初打点を記録した。
 
つづく
 
 

 
在籍長いが通算成績に名前がない男
No.366 [ 2008/12/13 (sat) 21:17:35 ]
 
中山野球史「高校編2」
 
二年生になって後輩が入部し、雑用等を免れるかと思いきや人数が少なかったため引き続きカメラ係を続行することになった。
 
三年生が引退するまでは練習試合でもほとんど出場することはなかった。
 
新チームになり、ようやく試合に出られる…と思いきや一年生にファーストのレギュラーを奪われる。
 
しばらくはファーストの2番手兼キャッチャーの3番手を務めた。
 
自分たちの代では先輩の時にあった「貸し切りバスで日帰り遠征」や「地方への合宿」がなかった。合宿は学校に寝泊まりしての二泊三日の合宿があった。
 
ある日、ファーストのレギュラーだった後輩が野球部を退部した。まさに「タナボタ」状態で自分がレギュラーになった。
 
後輩は中軸を打っていたが、自分はバッティングは劣っていた為に打順は7番。長打があるわけでもなく、小技が利くわけでもなかったので監督からすれば使いづらい選手だったと思う。
 
労せずしてレギュラーになり、そのまま月日は経っていき、気がついたら三年生になっていた。
 
つづく
 
 

 
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